2020/03/10

Fukushima50

 現在公開されている限りの情報を元に作った、よく出来た物語で、けっこういい映画だと思った。公開されていない情報がいろいろとあることを考えると、新たな事実を告発、暴露するものではないことに物足りなさを感じる面もあるかもしれないけど、今幅広い人に受け入れられる物語としては十分ではないかと思う。セリフなどもいろんな資料や議事録に沿って作られている印象。そして、描かれた事実の検証について、いろんな議論がなされているようだし、悪者に描かれていた菅直人本人からも冷静な反応が出てきているようで、新しい事実がそこから明らかになっていることもある。事件を風化させないという意味では、大きな役割を果たしているのではないか。
 気になった点は、放射線被害の描写がほぼないこと。伝聞やイメージとしてしか描かれない。これはHBO版チェルノブイリと比較すれば歴然とした差があり、広大な土地が今でも住めなくなっている理由を考えれば、また、なぜ「Fukushima50」と呼ばれ物語の主人公になったのかを思えば、タブー視されているとしか言いようがない。また、2号機の格納容器が爆発を起こさなかったことがクライマックスで、それまでの緊張を弛緩して物語が収束に向かうのだけど、これは『シン・ゴジラ』の最後で、放射能はたいしたことなさそうです、よかった・・・、みたいな終わり方をしたのを思い出す。(それ以外にも演出として『シン・ゴジラ』は意識されているのではないかと思うところがあり、フィクションとして優秀だったことを再確認した。)
 細かい点としては、外国のニュースが放映されるシーンや米軍、アメリカ大使館が出て来るシーンの演出が妙にショボく、チープに見えてもったいないと思った。これだけ金をかけた作品なのだから、もう少しうまく出来たのではないか。
 また、総理大臣が悪者になっている演出について。事実との照合で言うと、ベントが遅れたのは総理の視察のせいだというのは、そのように見えるのは否定できないものの、一応物語上も総理が帰ったあとに住民避難の完了連絡が入ってベントの指示が出たことになっている。また、ずっと怒鳴っていると言うのも、これまで報じられてきた通りなので、大方本当なんだろう。やや恣意的な描かれ方をしているものの、逆に総理大臣が英雄になってたら気持ち悪いので、これぐらいでちょうどいいのかとも思う。ただ、こういう描き方が出来たのは民主党政権の総理大臣だったからと想像する程度は、現在の安倍政権をめぐる状況を思えば許されるだろう。
 東京に送るための電気を、福島に住む人達を巻き添えにして作り続けてきた構造、その結果、結局責任を最終的に追わされるのが地元の人々になってしまったことは、この事件にとって重要な視点で、それが描かれたことには好感を持った。
 最後、とってつけたように「復興五輪」がエピローグとして語られるけど、新しい災害に見舞われて開催が危ぶまれる今となってはしらけてしまう感がある。この作品も、これからこの事件がどのように進展して、新しい事実が明らかになって、それを元に新しい作品が作られることで検証されていけばいいと思う。

2019/04/24

2018-06-13 一人 / と / 一群

Project Le mat 0 x 集合芸術ANDAZ ART Work NO.IV

「一人 / と / 一群 〜Not alone But a Family〜」

@ザムザ阿佐ヶ谷 6/9 13:00〜

 友人が出演するということでなにかに引き寄せられたのか、2週連続で小劇場。この公演は演出の一人も学生時代の知り合いで、彼の公演を見るのは、それもまた5−6年ぶり?ぐらい。前回見たときは、暗く、内向きなストーリーがあんまり好みじゃなかったと言うような感想だった気がする。前回の印象があったので、今回も暗い話しだったら嫌だな、と思っていたのだけど、いい意味で期待を裏切ってくれた。

 ストーリーはアンドロイドもの近未来SF。エンタメ作品としてもとてもよく考えられた脚本で、最後まで破綻なく見せてくれるし、大きなテーマとしては家族のあり方を扱っているんだけど、今上演される演劇としての社会性もちゃんと帯びた優れた舞台だったと思う。ただ、それだけに少し気になるところも。

 「大人は自分のやったことに責任を取らないといけない」という主旨の長い独白が終盤にあってなかなか響くんだけど、社会的な弱者を主人公に描く中で、最終的に自己責任論に落ち着くのは、問題があるように思った。でも、その独白は総合演出を務める本人が役者として行うもので、これが真に迫る迫力で伝わってきたということは、ここに強い主張が置かれていると考えていいのだろう。

 5−6年前に見た舞台では、学校の中だけで生きる生徒達の鬱屈とした感情みたいなものが主題になっていたようにうっすら記憶しているんだけど、今回は箱庭の中でなんて生きられないんだよ、という別の厳しさをメッセージにしてきているということだろうか。なかなかよく考えられている話しなだけに、いろいろと考えながら見ていた。

 舞台を埋め尽くすような人数の役者達による群読を駆使したパワフルなセリフ運びなど、大変エネルギッシュな舞台なんだけど、とてもよく演出されていて、よくあの人数をあのクオリティで動かせるなと感心した。役者も適材適所に感じる、ということは演出が行き届いているということだ。なまじ、制作側の人を知っているので、これだけの規模でお芝居をやるのって本当にすごいなあと思う。しかもそれを5年以上続けているのだ。これからももっと活躍して、いろんな芝居を作っていって欲しい。

2018-06-04 第14回TOKYOマイムカレッジ試演会 シアターパントマイム公演「襷」

6/3 14:00~@新大久保スタジオエヴァ

 前回玉木さんを見たのは、早稲田のせっまい小屋だったような気がする。いつだったかもう記憶が無いので、記録に頼るともう6年前らしい。ふと最近何してるかなと思い立って、連絡先もわからなくなっていたのでググると、ちょうど今回の公演の情報が出てきた。ストーカーと言わないでほしい。私は玉木紘子のファンなのだ。予約用メールアドレスにメールを入れたら、3日ぐらいしてから返事が来た。「玉木さん、この人知ってる?」「げ、なんで!?受付しないで!」というやり取りがなかったことを願いたい。

 彼女がパントマイムを始めたときは、役者のスキルを磨くための一時的な肥しのつもりなんだろうと思っていた。あれから6年、最初からか途中からかわからないけど、彼女は本気でパントマイムの表現者を目指すようになっていたことが、今日、その演技から伝わってきた。

 6人の演者がひとりずつ出てくる形式。公演を通して、音楽は流れるが役者は一言もしゃべらない。叫び声やため息のような発声もない。玉木さんは休憩挟んで後半トップの5番目。正直、前半はあんまり内容が伝わってこない人もいたりして、このままだとちょっときついな、と思ってしまっていた。玉木さんは途中、タイトルコールのかわりのショートコント的なパートで他の役者とふたりでちょっとだけ登場した。6年ぶりに見る玉木さんは輪郭が少しふっくらした以外変わりなく、懐かしい幸せそうな笑顔を浮かべていた。

 休憩が終わり、暗転した会場が再び明るくなると、彼女はシンプルな上下黒い衣装を来て、舞台に正座していた。タイトルは「鏡」。鏡台の前に座った女性が、ぎこちない手付きで化粧をしていく様子だ。前半の4人とは違うレベルの演技だというのを、この時点ですでになんとなくではあるが感じられた。

 とても丁寧で伝わりやすい演技なのだが、どこか違和感があった。化粧をする様子がぎこちなさすぎるのだ。最初は子供が初めて化粧ををする様子なのかと思った。でも彼女の表情や演技からは、子供の無邪気さや荒々しさは全く感じられない。そこで彼女の視線に気付く。視線が定まらず、光の無い目が薄く開いている。盲人を演じているのでは、という推定が頭に浮かぶ。鏡台の引き出しをなぞるように探る仕草や、口紅のキャップを外したときの上下がわからないかのようなもたつきはそれを裏付けるように思われる。そう考えると、彼女の一挙手一投足が、すべて盲人の仕草をなしているように思えてくる。演技として完璧、と評価を下すより早く、ある考えが頭に浮かんでくる。

「玉木さんは本当に目が見えなくなっているのではないか?」

 6年間、彼女とは全く連絡をとっていなかったし、他の人から消息を聞くこともなかった。もし彼女になにか不幸な出来事があって、それが伝わることを拒んだ彼女が過去の友人との連絡を断っていたとしたら。それなのに、突然自分が公演をネット検索で見つけ、招かれざる観客の視線が舞台の上の彼女を突き刺しているとしたら。そうだったらどうしよう、軽い気持ちで取り返しのないことをしてしまった。切実にそう思わせる真実味が彼女の演技にはあった。舞台の上の役者を見ていて、それが本当に演技なのか、本当に見ているものは偽物なのか、わからなくなったのはこれが初めてではないだろうか。それは彼女の演技が素晴らしかったことももちろん、自分が彼女と長期間連絡を取っていなかったという個人的な事情もあるだろう。それでも、あの冷静な演技で観客にこんなことを思わせる、これは本当にすごいことだ。

 そんなことを考えるうちに、彼女は鏡台にかかる布をまくりあげ、鏡に手をつき、その中をのぞき込もうとして倒れ込む。彼女は夢を見る。

 砂浜の日差しの眩しさで目を覚ました彼女は、失っていたはずの光に気付く。すくった手からこぼれ落ちる砂の輝きに子供に返ったようにはしゃいで、走っていくと今度はバラの花と出会う。それがバラだとわかるのは、花びら一枚一枚を確かめる彼女の手付き(これに一番感動した。彼女は視覚を手に入れてなお、盲人の仕草をしている)、とげを刺して指からにじむ血さえも、彼女はその鮮やかさに感動するのだ。

 そして彼女はあらためて鏡台の前に座り、化粧をし、鏡にかかった布をまくる。繰り返される動作だが、今度は彼女の動作に探るような仕草やもたつく様子はない。見えているからだ。しかし見えているからこそ、彼女は最後、鏡と向き合うときに顔をそむけざるを得ない。それでも、彼女が初めて自分の顔と向き合おうとするところで、夢は終わる。

 感動した。役者の身振りだけで、こんなに多くのことを観客に伝えられるだろうか。ひとつひとつの仕草に、動作の意味を超えた物語としての役割が与えられ、それが見る人に意図通りに伝わっている。例えば、ファンデーションの匂いをかぐということ、バラの花の花弁を一枚ずつ確かめるということ、指先の迷い、あるいは迷いがないということ。

 そのあと、トリの演者を挟んで(足が身体から独立するというとても演劇的な主題で、本質的かつ笑えて面白かった。)、6人全員でステーキ?を食べながら泣いたり怒ったり笑ったり(玉木さんは泣き叫んでいた)する演目で終演。そしてカーテンコールで、6人を代表して挨拶をする玉木さんが、話しながらこちらを向いて微笑んだ。目が合った!絶対あれは自分のことを見て微笑んだのだ!「好きになるから!こんなの好きになるから!アイドルか!アイドルか!」と心の中で叫んだ。もう十分好きなのである。このときにようやく、盲目の人としての玉木さんが、演技だったと確信したと思う。

 6年て長い。この6年自分が生きている間、玉木さんは知らないところで違うことをしていた。他のことを、本気でがんばっていたのだ。自分も違うことをしていた。彼女ほどがんばっていただろうか。彼女ほど、なにかを手に入れただろうか。考えてしまう。

 それから、今回彼女はパントマイムの見方、面白さを教えてくれたと思う。どんなにうまい演技でも、最初の仕草だけでは何をしているかわからない。ところが、ひとたび物語や動作の意味に気付くと、遡ってすでになされた演技の意味がわかる。物語の最後で、はじめからのストーリー展開を一貫して確かめられたときは大変気持ちよく、それができなかったときは非常にもやもやする。こう書くとセリフのある演劇と大差ないと思うかもしれないが、パントマイムはクイズ番組やミステリー小説のように、その謎解きの繰り返しが楽しいのだ。もちろん、これを提供するために演じる側は、身体能力だけでなく、緻密な脚本や構成が必要になる。玉木さんの演技は、それを実現していて、単なるイミテーションを超えた、芸術としてのパントマイムを見せてくれたと思う。

 また見たいと思ったし、今度はもっと大きな作品を見てみたいと思った。また見に行きたいと思う、ストーカー認定されなければ。

2018-05-31 サボってしまった。

ブログをほとんど1年近くサボってしまった。最後の記事は去年の7月。

そんなに長く書いてなかったかと思ったけど、書いてなかった。

いろんなことの記録を何にも残さないのはもったいないので、少しずつまた書いていきたい。

 来月結婚する。自分が結婚するなんて、ほんとについ最近まで考えてなかった。少なくとも学生時代は結婚は明確に悪だと考えていたし、年を取りながら友達や同僚が結婚していくのを見ていくうち、世の中と折り合いをつけるように考えは柔軟になっていったけど、それでも結婚は根深い悪しき慣習だという考えは抜けきらなかった。今でも正直言ってそう考えているところは多分に残っている。

 結婚は平等じゃない。家族とか戸籍とか、生きる上での基本的な枠組みが結婚によって形作られることで、男と女の間で、結婚する人としない人の間で、親と子どもの間で、明確な非対称が生まれ、それによって多くの人が苦しんでいて、社会全体にもいろいろな弊害が生まれている。今でも結婚はメリットよりもデメリットが多い制度だと思っている。少なくとも、よりよいシステムを現代の日本でなら十分現実的に実現できるはずだ。

 それでも結婚することを決めたのは、付き合って4年になる恋人と、これからもパートナーでいるのかどうか、という選択が、今のタイミングで結婚するかどうかの選択とほとんど同じ意味になってきたからだ。相手が結婚を望んでいた。このタイミングで仕事を長期間休むことになったこともあり、別れることを真剣に考えた。その方が相手のためにも、、、正直に言えば自分がその方が楽になると思っていた。ところが、相手の方がまったくそういう考えがないようだった。いろいろと悩んでいてくれたのは話をすれば感じていたけれど、それは自分と別れるかどうかではなく、ふたりの将来について悩んでいた。休職中もなにかと外に連れ出してくれて、その度に励ましてくれた。そんな中、ひとりで急にアメリカに旅に出て、愛想を尽かされるかと思ったけど、当時はそれを期待していた気持ちもわずかにはあった気もするけれど、まったくその気配すらなかった。これはうれしかった。ありがたかったというか。仕事を辞めることも考えていたけど、今はそのタイミングじゃないと思い、復職して、このときから具体的に結婚を考えはじめた。1年弱経って、ある程度仕事も落ち着いて来たところでプロポーズをした。相手は喜んでくれた。

 後ろめたい気持ちがある。セクシャルマイノリティのかつての友達、今ではそう呼んでいいかわからないけれど、に対して。学生の時、旅先のツアーで出会い、旅先で告白された。自分と付き合って欲しい、ということと、自分がトランスジェンダーであるということ、をだ。自分は当時恋人がいたので、断った。自分はちょうどフェミニズムやジェンダースタディーズに触れ始めた頃で、その友達もいっしょに旅行に行くような親しい人に囲まれていたこともあり、気兼ねなく接していたつもりだった。告白を断るときも、特別に傷つけないように配慮したつもりだった。

 帰国してから間を開けずに2回ぐらいふたりで会ったと思う。ぎこちないデートだった。それ以来向こうからの連絡がなくなった。それから間もなく、性別適合手術の為にタイに行ったということを聞いた。ショックだった。自分が「普通に対応した」つもりになっていたことが、相手の人生に決定的な影響を与えてしまったと思った。ポジティブな気持ちで手術に向かった可能性だってある。わからないけれど、いずれにせよとても重大な決断に影響を与えてしまったと思った。

 それ以来、あの時自分はどう応えるべきだったのかと考える。手術を受けて幸せになっているだろうか、とも。セクシャルマイノリティについても普通の人よりは勉強した。自分はほぼヘテロシス男性として生きてきたけれども、自分の同性愛傾向が人より強いようにも思い、Jack'dやGrinderで何人かの相手とデートしたり、ArcHでナンパ待ちしたりした。もちろん楽しくてやってたけれど、多数派の居場所に守られているだけではいけないという意識はあった。

 今の恋人と付き合うようになってからも、結婚を考えるようになってからも、時々ぐちゃぐちゃ考えることはあった。でも、それでも結婚することを選んだんだから言い訳は出来ない。結婚なんて、そんなにたいしたことじゃない、と思っていたし、思えばいいのだけど、だとしてもこの選択をしたと言うことで、これからもぐちゃぐちゃと考え続けるんだと思う。最終的には結婚なんていうシステムが必要のない社会になればいいと思っている。でもその前に段階を踏む必要もあると思っている。婚姻平等はその過程にあっ定位プロセスだと思う。誰もが誰とでも平等に結婚できる社会を望んでいるし、その実現のためにやれることはしていきたいと思う。

 仕事のことを書いておくのは、結婚したときに自分がどういう状況だったかの記録のため。ちょうどプロポーズをする1年前、休みたいと申し出て、約4ヶ月の休暇を取った。精神科に通い、適応障害の診断書を会社に出した。たまっていた有給休暇をきれいに使い果たす形で、結局「休職」とはならなかったけど、まあ形式の問題だ。原因は今となってははっきりと直属の上司からのパワハラだと言えるけれども、当時はそこまで整理して考えることが出来なかった。つまらないことに細かく指摘を受けて、細部を気にするうちに全体がうまく回らなくなった。それに対しても怒られ、馬鹿にされ、そうかと思うと飲みに連れて行かれて励ましを受ける。なんとかがんばりますみたいなことを言って、次の日からもその繰り返し。最後の方は、たしかに心の状態が普通じゃなかったと思う。その上司が、みんなに配っていたもらい物のお菓子を、自分にだけ投げて渡すのがすごく嫌だった。

 がんばっても何にも出来ないという状況に陥ってしまい、本当にもうどうしようもなくなって、なにもうまくいかないという状況で、明らかに自分がいない方がうまくいく状況になっていた。このまま続けていても、自分にも仕事にもいいことはないと思って、休みたいと言ったのはメールでだった。12月の頭で、年内休んで年明けから出て来ればいいぐらいに思っていた。まわりからも心配されていたということはあとから知ったけれど、組合の人が声をかけに来たことはあった。その時点で普通だったら普通じゃないと気付くんだろうけど。昼休みにメールを送って、送った直後に直属の上司から呼び出されて、いつまで休むつもりなのかとか、なにが原因なのかとか、そんなようなことを聞かれた。上に書いたようなことをそのまま答えたと思う。それから、年明けの異動を考えるというようなことを言われ、それならどうか、それでも仕事を休むか、と聞かれた。自分は異動出来るなら年内ぐらい我慢する、というような気で、それなら会社に来ます、と言った。ところが、その日の午後のうちに、今度はその上の部長に別室に呼ばれて、直属の上司には以前から自分への態度について指導をしていたということなどを聞かされて、精神科に受診することを勧められるとともに、休んでいいんじゃないか、というようなニュアンスで、あらためて休職の意志を確認された。自分は今度は、ああ、休んでもいいんだ、と思って、休ませてください、と言った。思えば本当に自分で判断する能力が低下していたと思う。そこで休職が決まった。部長は少なくとも他意なく対応してくれたと思う。当時の自分にとってはそれはとてもありがたいことだった。そのあと、直属の上司がパソコンの画面に映したエクセルの表を見せてきて、中身はよく覚えてないけど、休職に至った経緯を整理したみたいなものについて、「これで間違いないね」と確認を求めてきた。そんなに変なことは書いてなかったと思ったので、自分は同意したけれども、いま思うとあれは上司が自分を守るため「だけ」にやっていた作業なんだろうなと思う。

 ともかく、その日から休職となった。その日、家に帰って、両親に仕事を休むことになったことを伝えたはずだが余り覚えていない。酒を買って帰ったらしく、今でも家に酒を買って帰ると、何かあるのではないかと身構えると父親が言っていたので、それなりに衝撃的だったらしい。その翌日に近所の精神科を受診した。学生の頃、いろんな友達がいかに強い向精神薬を飲んでいるかをほとんど自慢のように語っているのを聞いていたのを尻目に、自分は心の健康だけは問題ないなと思っていたのを思い出し、なんかこんなことになってしまったなあ、と待合室で考えていた。診察は30分ほどだっただろうか。休みに至ったいきさつは当然として、家族・親族関係や親の性格、子どもの時どんな性格だったかとか、得意教科とかを細かく聞かれたのが印象的で、「フロイトだ!」と思った。そのあと就活の時のSPI試験のような用紙を渡されて、待合室に戻されてから回答し、そのあとまた診察室に呼び戻された。

 医者からまず言われたのは、年内休みたいと言ったことに対して、最低2ヶ月は休まないと何にも変わらないよ。と言われた。それから、上司のハラスメントがあったんだろうということや、嫌だったことを無理に忘れようとしないこと、などの指摘やアドバイスがあった。そして、デスクの上に用意してあった大判の本を手に取ってこう言った、「アスペルガー症候群って聞いたことある?」。

 聞いたことはある。自分にはその傾向があるかもしれないという。SPIのような検査の結果は診断には至らないものの、希望すればちゃんと調べることが出来るそうだ。先生は手に取った本(大人のアスペルガー症候群、的なタイトルだったと思う)をパラパラと見せながら、症状や患者の体験について思い当たるところはないか、という。思い当たるところは、あった。それはもう、泣きたいぐらいに。「ああ、そうだったんだ。」と一発ですべてが解決したような気さえした。だいたい生まれつきで、遺伝によるところが大きいというような話も聞いた。

 そこで2ヶ月休職するべしと言う内容の診断書をもらって、今度は会社の産業医との面談に臨んだ。だいたい聞かれる内容は同じような感じだったが、産業医の面談は人事部の社員が同席していた。診断書には2ヶ月の休職とあったが、今度はさらにもう一ヶ月休む必要があると言われた。これが自分の症状との兼ね合いなのかはよくわからない。休みがもう一ヶ月伸びて、正直よかったと思っていた。そこで、自分は精神科でアスペルガーの傾向があると言われたと申告した。産業医は、自分とは話している限りその傾向は感じないとのことや、発達障害は最近特に過剰診断される傾向があると言うことを言ってそれを否定した。自分はこれまで感じていた気持ちに病名が付いたことに喜びさえ感じていたので、でもいろいろと思い当たるところが!ぐらいのことは言ったと思う。

 会社でまでこんなにこだわっていた理由はまだよくわからないけど、ひとつは病気なんだったら治るだろう、という思い込みがあったからのように思う。自分はけっこうこれまで生きてくる中の所々でいろいろと生きづらさを感じていて、本当に死のうかと思うようなタイミングも合ったのだけど、そういういろんなことが治療できた自分の病気のせいなのであれば、治りさえすれば本当に全部うまく行くんじゃないかと先走って考えていたところがあるんじゃないかと思う。産業医は、そう診察した医者に対して、「その医者は変わってる、そんなこと言ったって、何の救いにもならないもん」といった。そのときの自分は、おおいに救われた気分になっていたので、その意見を不満に感じたけれど、今となっては産業医の「セカンドオピニオン」はもっともだったのかなと思う。

 休むことになっても、2週間に一回の診察、月に一回は会社に行って産業医との面談があり、なんとなく落ち着かなかった。これも後から振り返ればだけど、最初の2ヶ月はたしかに元気がないというか、心が落ち込んでいたと思う。3ヶ月目に入るか入らないかという時に、具体的に異動を検討するという話があって、そのためにもう一ヶ月休んで、と言われた。もう一ヶ月休みが伸びて、よかったと思った。本当にそんな感じだった。3ヶ月目に入ると、ある程度元気になってきていた。本を読んだり、ロシア語の短期講座に通ったり、なんといってもアメリカ旅行をしたりした。アメリカ旅行の件はすでに書いたのでいいとして、平日の昼間に公園を散歩したりしていると、子どもやお年寄りがたくさんいて、地域社会の存在を実感することが出来たりする。サラリーマンには見えない世界もあるのだと思った。公園のベンチで詩の朗読をしたりもした。彼女には、アスペルガーのことを話した。医者が自分に見せたような本を買って、それを渡したりした。最初はなんのこっちゃという感じだったけど、真剣に受け止めてくれたようだった。それでも捨てられなかったんだからすごいと思う。どこまで理解があるんだと、正直心配になるくらいだった。

 復職後は転勤があって、うまくいったりいかなかったりはあるけれど、まあなんとかやっている。引っ越しや、新婚旅行や、いろいろな新しい生活の準備が慌ただしい。30年近く住んだ家を出る感慨も、新しい生活に対する不安や希望も、まだ実感がない。飽きたからこれぐらいにしておく。

2017-08-05 コミックマーケット92 『双子姉妹』

今回もサークル参加することになりました。

今回は原点回帰で創作百合小説です。

日曜日 東地区 "Q" 23a 『双子姉妹』

新刊 『双子姉妹 春』 たまっこ著  66頁 300円

その他、気力があればペーパーとか。
既刊もあるものは持って行きます。

よろしくお願いします。